RYU : 構造と文明を俯瞰する帝王学の視点(補足追加版)
· 約81分
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前置き
RYU が「構造と文明を俯瞰する帝王学の視点」を語っており、触発される内容なので取り上げる。
なお、この記事は一度、記事を up したが、最近 頂いたコメント のご意見を考慮した補足説明をこのすぐ下に追加して、補足追加版として 再 up している。
RYU に対する評価と、その評価軸
まず最初に、RYU に対する評価としては
- (a) RYU の壮大な文明論と帝王学の視点を高く評価し、とりわけ「触媒機能」を評価する。
次に、私の RYU の評価軸には
- (b) RYU の実像がどうであるか、それには私は殆ど興味がない。
という偏りがある。言い換えると
- RYU の「著作」としての動画が持つ高い触媒機能に関心があるが、
- RYU という著者(=人物それ自体)には関心がない。
それゆえ、RYU の実資産が幾らであろうと、 企業経営の実態がどうであろうと、私は殆ど気にならない。逆に、どんなに巨額の資産家であろうと、大企業の経営者であろうと、それだけでその主張や発言に価値があるわけでは無い(大概の場合、無価値)。
(a) について
RYU の動画はどれも新鮮な切り口、壮大な視点、手加減しない露骨な主張、練り込まれた鋭いフレーズ、巧みなレトリックで視聴者を惹きつける。これは見事な才覚であり、敬服に値する。余人が簡単に真似できるものではない。
この文脈で私は RYU を高く評価している。さらに RYU の動画は思考の触媒という点でも高い価値がある。つまり、RYU の見解や主張には視聴者の思考を触発する触媒としてのパワーがある。
(b) について
『道徳経』の内容に興味がある人でも、(その著者とされてきた)老子がどんな人物か、実際の作者は一人か、複数人か、編纂の過程はどのようなものか…そういった付随情報には ほとんど興味がないようなもの。
仮に(関所の番人の求めに応じて書き与えたという逸話の)老子なる人物が実在しなかったとしても、後世の複数人による 合作/編纂 だったとしても(その可能性が高い)、それが『道徳経』自体の評価を左右することはない。
