この世界は simulation ではない
前置き
以下は先日の過去記事、
Philip K. Dick が暴いた世界の再構築と多重現実 (2026-08-18)
に対して頂いたコメント
いくつか論理が飛んでいます。 Mandela 効果を錯誤とする説明とsimulation 仮説が誤りだという話は別問題です。前者が成り立っても後者は自動的には導けません。 また反証可能性がないオッカムの剃刀に反するという批判は妥当ですが、カオスと矛盾するという点は弱いです。シミュレーション内でもカオスは普通に起こり得るので、ここは論拠になっていません。 さらに俯瞰の視点の誤謬という指摘も相手が外部視点を比喩として使っているのか、実在すると主張しているのかを切り分けないと反論としてはやや空振りです。 勢いのある文章ではありますが、批判の焦点が混線していて説得力を損ねています。
ref: http://news21c.blog.fc2.com/blog-entry-25273.html#comment484
に対する返事です。
markdown 書式による引用の必要が生じましたので記事の形にしています。
返事の内容
別問題
Mandela 効果を錯誤とする説明とsimulation 仮説が誤りだという話は別問題です。
ええ勿論、別問題です。水平線で区切って、最初から別問題として記述したつもりですが、意図が通じなかったようです。予め、別問題だと明記すると良いのでしょうが、多種多様なレベルの読解力まで配慮した文章作成は非力な私の手に余ります。
simulation とカオス
カオスと矛盾するという点は弱いです。シミュレーション内でもカオスは普通に起こり得るので、ここは論拠になっていません。
残念ですが、その主張は正しくありません。
- (a) simulation でもカオスに似た挙動が生じること
と
- (b) 現実世界のカオス現象が simulation できること
は全く別の話です。「似ている、近似できる」事と「全く同一である」事は違います。つまり、
- (A) この世界を simulation で近似できる。
と
- (B) この世界は simulation である。
は全く別の主張です。「あの人は父に似ている」と「あの人は父だ」が全く別の話であるように。
- この世界で発生しているカオス現象も simualtion である
ことを示すには、現実世界の時空間の粒度(プランク長、プランク時間)で非線形現象の計算をやり抜く覚悟が必要です。
非線形偏微分方程式はただでさえ難物ですが、異方性を示す媒体(結晶など)も現実世界に少なくないのでテンソル演算も絡み Einstein の重 力方程式のレベルになります。
それを超多元かつ常に 30桁以上の有効桁数を保ったまま先の時空間の粒度でカオスを含めて完全一致するまで忠実に simulation で再現できねばなりません。
これは全知全能の神を説く神学者と同レベルの SF 的夢想が必要になります。まともな議論の対象にはなりうるとは私には思えません。
量子のランダム性は simulation 不可能
ついでに言えば、
- この現実世界のカオス現象は simulation できない
だけではなく、この現実世界の根幹を支配している
- 量子のランダム性も原理的に simulation 不可能
です。量子のランダム性は原理的に予測不能ですから、当然ながら計算不能です。計算不能なものを simulation はできません。疑似乱数演算ではできの悪い近似でしかありません。
勿論、ハードウェアによる乱数発生装置で代用することも完全に無意味です。simulation すべき自然現象のランダム性を、自然現象から取り入れてしまったのでは本末転倒です。
結論
「この世界は simulation だ」という主張は完全に間違っています。 simulation はこの世界をごくごく荒っぽく近似することだけしかできません。しかもその近似は原理的に不完 全なのですぐさま現実世界から乖離します。
俯瞰の視点
さらに俯瞰の視点の誤謬という指摘も相手が外部視点を比喩として使っているのか、実在すると主張しているのかを切り分けないと反論としてはやや空振りです。
切り分けの問題ではありません。
比喩であろうが、実在と見なしていようが、simulation 説の主張者は虚構の視点に立っている…そう私は批判しているのですが、ご理解いただけていないようです。
比喩だから、虚構の視点ではない…とするならば、なぜその比喩を(虚構であることに無自覚のまま)持ち出す結果になったのか? なぜ、虚構の視点を回避した比喩を提出できなかったのか? これが問われます。
追記
以下は返事ではなく、関連したトピックの追記。追記ゆえ、口調をいつもの blog の文体に戻す。
俯瞰の視点の別の側面
ついでなので、この「虚構の視点」の別の側面を述べておく。たぶん、誰も以下の側面を指摘していない筈。
-
仮に、俯瞰の視点が実在するならば、その視点からこの現実世界を「外側」から観えて(=認知できて)いる筈。さらにその視点をずらせば、simulation された「他の世界」も視える筈(Musk の主張に従えば)。
-
さらに、その視点を反転させれば(この現実世界を simulation している)simulator が(一部にせよ)観える筈。
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それらが観えたならば、この現実世界を「外側から見たら A という驚愕の光景だった」、「別の世界は B という光景だった」、「simulator は C という光景だった」と語れる筈。
-
ところが、これまで誰一人として、そういった光景を一切、何も語れていない。
従って、先の俯瞰の視点は実在しない(=虚構)。simulation 説はその虚構を土台の一部としているが、その事に無自覚でいる。
simulation 説の誤謬の本源
以上、説明したように simulation 説は誤謬。その誤謬の本源は何か?
それは超越願望だと私は見る。この、ろくでもない(bullshit な) 現実世界/日常世界 から逃れ、あるべき世界、本当の世界、真の愛の世界、魂の故郷に戻りたい…これが超越願望。
超越願望に立つから、この現実世界が「できの悪い造り物」に見えてくる。この超越願望に駆られた行列の最後尾に simulation 仮説も加わった。
つまり、
- 超越願望が、
- 「この日常世界を超えた世界」という幻想を生み出し、
- その幻想の世界から「日常世界を俯瞰した視点」が宗教(神仏、解脱)や芸術(美)、哲学(真理)という大物の虚構(*1)を生み出し、
- さらに近年は simulation 説という小物まで加わった。
どれも構図は同じ。simulation 説は「できの悪い焼き直し」でしかない。
(*1)
この大物の虚構の列に、
- 科学(科学モデル)
- 数学(ロジックの精緻モデル化)
を追加したいところだが、それに同意できるのはごくごく少数の筈なので遠慮しておく。
(2026-08-28)