ミートたけし : ジャズ界の生理的嫌悪と音楽の「品格」
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前置き+コメント
ミートたけし のこの動画は
二見勇気(ゆうこりん) : 日本ジャズ界の形骸化と本質の探求
が背景文脈にある。
確かに ミートたけし が主張するように「音楽に善し悪しはない」。音楽は道徳でも倫理でも宗教でもないゆえに当然の話。
だが、音楽には個々人の主観的な「好き嫌い」以外に、質の違い(=音楽性、訴求力、技量、洗練度、精神性…などの評価軸)は明確にある。
実際、ミートたけし は
音楽に「良い・悪い」は存在せず、「好き・嫌い」という主観こそが全てである。
と断定しているが、その一方で
発信者は、ゆうこりん個人に対して極めて対照的な二つの評価を下している。
技術・音楽性への評価
- ジャズ演奏の技能: ジャズピアニストとしての腕前は「間違いなく上手い」と認めており、カテゴリー内では非常に優れた奏者であると評している。
- 他ジャンルへの適 性: 一方で、ファンクやヒップホップ的なパターン演奏については「下手」と感じ、不得意な分野には手を出さない方が良いとの見解を示している。
と主張するように、ミートたけし 自身も決して「好き・嫌い」だけでは判断していない。
さらに、自身も
ジャズが「一生勉強し続ける音楽」であることは認め
て求道者のように歩んでいるからには、Jazz 音楽に猥雑な日常を超えた
- (a) 超越/本源/絶対/本物
の 気配/オーラ を感知しているのは明らかだが、
- (b1) その感知を他者に押し付けず、
- (b2) 音楽は大したものではない
という謙譲の姿勢を彼の「美学」にしている。
一方、二見勇気はこの b1, b2 に対して
- (c1) その感知を他者に布教し、
- (c2) 「音楽は凄いものだ、それを分かれ」と明確に主張する姿勢
を自身の使命とし、美学としている。要するに、二見勇気 も ミートたけし も a については同じ見解で、他者に布教するかしないかの美学が異なるだけ。
二見勇気が言う通り、J-POP なるものは薄っぺらく、幼稚で低レベルなものが多い。敢えて(大人や世間への不服従として)計算され演出された「幼さ、あどけなさ、未熟さ、無垢性」(= 萌えの要素)を日本での商業的武器にしている面もある。
評価軸は音楽のそれとでは異なれど、個々の人間とその全ての活動は周囲によって「好き嫌い」とは別に質を値踏みされ、評価される。音楽も人間の活動なので必然的に質を値踏みされる運命。
ただし、稀にだが突然変異のように「質の高い未熟さ」、「未完成 の完成」とでも言えるような、既存の評価軸をぶち壊すようなジャンルや楽曲が発生することがある。楽曲なら異様な輝きを放つ(John Cage の 『4分33秒』 のような奇矯なハッタリ芸とは異なる)。
話を戻して、、
Jazz に限らず音楽一般、さらには様々な芸術に日常世界を超えた
- (a) 超越/本源/絶対/本物
の 気配/オーラ を人間は感知するが、a の正体は何だろうか? 人はそれを老子のいう「道」の類、
- どこかに実在する何か、
- 追求に末に見出すべき究極の境地
だと思い込んでいるが、その正体は「道」も含め、
- 猥雑な日常世界を裏返して不純物を捨象し、それを彼方に投影した幻影
でしかない。日常世界の裏返して不純物を捨象した投影であるから、憧憬を伴った
- (a) 超越/本源/絶対/本物
の 気配/オーラ が纏わりつく。つまり a の正体は
- 日常世界を反転した(=捨象され裏返しに投影された)鏡像
であり、実体はどこにも存在しない。
以下、情報源を NotebookLM で整理した内容。
要旨
YouTubeチャンネル「ミートたけし」の動画において、投稿者は特定のジャズ系YouTuberに対する生理的な嫌悪感を率直に語っています。
彼は、相手の演奏技術や音楽理論の正しさを否定しているのではなく、その表現スタイルや容姿が受け入れられないと強調しています。一方で、その人物を「技術はあるのにやり 方が悪い」と上から目線で批判するプロのジャズ演奏家たちに対しても、本音を隠した偽善的で不快な態度であると痛烈に批判しています。
投稿者の持論によれば、音楽に絶対的な正解はなく、個人の主観による好き嫌いで語るべきであり、知識で他者を見下す傲慢な姿勢こそがジャズ界の閉鎖性を招いていると指摘しています。
最終的に、音楽は人々を幸せにするためのエンターテインメントであるべきであり、言葉による補足や他者への攻撃が必要な表現は未熟であると結論付けています。
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目次
- 前置き+コメント
- 要旨
- ジャズ系YouTuber「ゆうこりん」を巡る論争と音楽観に関する考察:ブリーフィング・ドキュメント
- ミートたけしによる音楽・奏者への批判的分析
- ゆうこりん個人への評価
- 周囲の反応(ジャズ界)への批判
- 独自の音楽論・美学
- ジャズ界の閉鎖性への警告
- 演奏家としての市場価値創出論:聴衆をなめる「研究家気取り」を排し、市場の荒野に立つための戦略的断罪
- 情報源
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ジャズ系YouTuber「ゆうこりん」を巡る論争と音楽観に関する考察:ブリーフィング・ドキュメント
エグゼクティブ・サマリー
本資料は、YouTubeチャンネル「ミートたけし - MEAT TAKESHI-」における、ピアニスト「ゆうこりん」および彼を取り巻くジャズ界の反応に対する見解をまとめたものである。
主な論点は以下の通りである:
- 個人的感情と技術評価の分離: 発信者(ミートたけし)は、ゆうこりんのピアノ技術を高く評価しつつも、生理的な嫌悪感を隠さず表明している。
- ジャズ界の偽善への批判: ゆうこりんを批判するプロミュージシャンたちが、自身の「嫌い」という感情を「音楽的正論」で隠蔽している姿勢を「気持ち悪い」と断じている。
- 主観の重要性: 音楽に「良い・悪い」は存在せず、「好き・嫌い」という主観こそが全てである。他者の好みを否定する行為は、表現者として傲慢である。
- 音楽家の在り方: 音楽は人を幸せにするためのものであり、戦いの道具にすべきではない。また、プロとしての覚悟や、自ら価値を創造する姿勢の欠如が、現在のジャズ界の閉塞感に繋がっている。
1. 「天才ピアニストゆうこりん」に対する評価とスタンス
発信者は、ゆうこりん個人に対して極めて対照的な二つの評価を下している。
技術・音楽性への評価
- ジャズ演奏の技能: ジャズピアニストとしての腕前は「間違いなく上手い」と認めており、カテゴリー内では非常に優れた奏者であると評している。
- 他ジャンルへの適性: 一方で、ファンクやヒップホップ的なパターン演奏については「下手」と感じ、不得意な分野には手を出さない方が良いとの見解を示している。
個人的・生理的嫌悪感
- 生理的な拒絶: ピアノの腕前や主張の内容以前に、顔、声、話し方、変顔などのパフォーマンスの全てに対して「生理的に無理」と強く述べている。
- 「嫌い」の表明: 自身の感情を隠さず「顔が嫌い」と明言することが、理屈で塗り固めるよりも誠実な姿勢であると主張している。
2. ジャズ界および批判者に対する痛烈な批判
ゆうこりん個人よりも、彼を批判する周囲のプロミュージシャンやジャズ界の体質に焦点が当てられている。
批判者の偽善性
- 論点のすり替え: ゆうこりんを嫌っているにもかかわらず、「ピアノは上手いのにやり方が間違っている」「ジャズ界のために別の方法がある」といった、もっともらしい理由(枕言葉)をつけて批判することを「気持ち悪い」と批判している。
- 本音の隠蔽: 自身の「嫌い」という感情を正当化するために音楽的理論を持ち出すのではなく、正直に「顔が嫌い」「人として嫌い」と言うべきであるとしている。
ジャズ界の閉塞感
- 教育・研究対象としてのライブ: ライブを純粋なエンターテインメントとしてではなく、研究や比較の対象として見る奏者やリスナーが多い現状を批判している。
- 仕事に対する受動的な姿勢: 「仕事はもらうもの」と考えているジャズミュージシャンが多く、自ら価値や仕事を作り出す意識が低いことを指摘している。
3. 音楽哲学:「好き・嫌い」と「良い・悪い」の境界
音楽を論じる際の基準について、独自の哲学が提示されている。
音楽の主観性
- 「良い・悪い」の不在: 世の中に「良い音楽」と「悪い音楽」は存在せず、あるのは個人の「好きな音楽」と「嫌いな音楽」だけである。
- 他者の好みの尊重(ボンカレーの比喩): 自分が好きなものを他人が「偽物だ」「間違っている」と否定することは、人間としてのセンスが低く、傲慢な行為である。
ゆうこりんの主張への反論
- 「本物・偽物」論争: ゆうこりんが他のピアノ系YouTuberを「ジャズではない」「偽物だ」と攻撃する姿勢を、他者の感動を否定する「位(くらい)の低い」行為であるとしている。
- 音楽の目的: 音楽は人を幸せにするために存在すべきであり、不幸な人間や争いを生み出すために使ってはならない。
