1975-01-05, アルゼンチン : UFO に吸い込まれ 700km を 12分間で移動した証拠 : Carlos Diaz の証言 ⇒ たぶん捏造
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前置き+コメント
本人が証言している動画(スペイン語)。
この事件は、Carlos Diaz が仲間と仕組んだ捏造だと判断する。その判断の根拠は長くなるので以下を展開。
展開
以下、ChatGPT (最新有料版)の対話で替える。
Me: 全世紀末の新聞の朝刊の早刷りについて。新聞が全盛期だった 1970年から1980年頃に新聞の朝刊は前日深夜に編集され、何度も版を進めながら翌朝に配達されたはずです。さて、その早刷り版が最も早く、販売店や駅のキオスクに届くのは何時頃ですか?
ChatGPT:
1970〜1980年代の新聞全盛期の日本だと、朝刊は一度刷って終わりではなく、深夜から未明にかけて「○版 → ○版 → 最終版」と何度も内容を更新しながら印刷・配送されていました。
大雑把には次のような流れです。
時刻 内容 22:00〜24:00 最初期の版(地方向け遠距離配送分)の編集・印刷開始 0:00〜2:00 地方向け早版を大量印刷 2:00〜4:00 首都圏・大都市圏向けの版を更新しながら印刷 4:00〜5:30 最終版(終版)印刷 5:00〜7:00 配達店から各家庭へ配達 質問の「最も早く販売店や駅売店(キオスク)に届く時間」ですが、これはかなり早く、
大都市圏なら午前1時〜2時頃には最初の早版が販売店へ到着していた
と考えてよいです。
新聞販売店(ASAなど)は深夜1時前後から既に作業員が待機し、トラックで搬入された新聞を折り込み・仕分けしていました。
駅のキオスクについても、始発電車利用者向けに、
午前4時頃には主要駅に朝刊が並び始める
のが普通でした。
特に東京駅・上野駅・新宿駅のようなターミナル駅では、始発客や長距離列車利用客向け需要があったため、かなり早く納品されていました。
面白いのは、同じ日付の朝刊でも場所によって内容が違ったことです。
例えば1980年代の読売・朝日では、
- 北海道向け
- 東北向け
- 関東向け
- 東京最終版
で記事内容が異なることがありました。
深夜2時に起きた事件は東京最終版には載るが、東北向け早版には載らない、ということが普通にありました。新聞縮刷版やデータベースでは通常「最終版」が保存されるため、当時実際に地方へ届いた紙面とは少し違う場合があります。(朝日新聞クロスサーチ)
なお、駅売り向けにはさらに特殊な「街頭売り版(英語圏でいう Bulldog Edition)」に近い扱いの超早版が存在し、終電客や夜勤明け客向けに先行して出回ることもありました。(ウィキペディア)
したがって質問への直接回答としては、
1970〜1980年頃の日本では、最も早い朝刊の早刷り版は深夜1〜2時頃には販売店へ到着し始め、駅のキオスクには概ね4時前後から並び始めていた。
というのが実態にかなり近いです。
Me: その
「駅売り向けにはさらに特殊な「街頭売り版(英語圏でいう Bulldog Edition)」に近い扱いの超早版が存在し、終電客や夜勤明け客向けに先行して出回ることもありました。」
…ですが、その超早版って、日本だけではなく、諸外国(たとえばアルゼンチン)でも一般的でしたか?
ChatGPT:
はい。むしろ歴史的には、日本より欧米のほうが「超早版(Bulldog Edition)」文化は発達していました。
19世紀末から20世紀中頃にかけての新聞全盛期には、新聞社は1日に何度も版を出しており、
- Street Edition(街頭売り版)
- Bulldog Edition(早刷り版)
- Home Edition(家庭配達版)
- Late Edition(最終版)
などが存在しました。
特にアメリカの大都市では顕著でした。
例えば20世紀前半のNew York Cityでは、
- 午後3時 版
- 午後5時版
- 午後7時版
- 深夜版
- 朝刊
のように、同じ新聞社が一日に複数回発行することすらありました。
Bulldog Edition は本来、
「最終版より前に出す街頭販売向け速報版」
という意味です。
アルゼンチンの場合も、新聞全盛期には似た構造がありました。
代表的な新聞である
- Clarín
- La Nación
などは、
- ブエノスアイレス市内向け
- 郊外向け
- 遠距離地方向け
で締切時刻が異なっていました。
国土が広く鉄道輸送への依存が大きかった時代には、
「地方向け早版」
が先に刷られ、
「首都向け最終版」
が後で刷られるという構造は日本とほぼ同じです。
ただし、日本と少し違う点があります。
日本では朝刊宅配網が異常に発達していたため、
- 配達店
- 専売所
- 戸別配達
が主役でした。
一方で欧米や南米では、
- 駅売店
- ニューススタンド
- 路上販売員
が重要でした。
そのため超早版は、
「販売店向け」
というより
「街頭販売員向け」
という性格が強かったのです。
ニューヨーク映画で有名な、
Extra! Extra! Read all about it!
と叫びながら新聞を売る少年は、まさにこの文化の産物です。
ただしアルゼンチンで興味深いのは、軍事クーデターや政情不安の時代です。
例えば
Argentine coup d'état of 1976
の頃には、
深夜に政治情勢が急変すると、
印刷済みの版を破棄して刷り直すことがありました。
新聞は当時の主要メディアだったため、
「どの版から政変の記事が載ったか」
が歴史研究の対象になることもあります。
したがって、
1970〜1980年代のアルゼンチンにも日本の早刷り版に相当するものは存在したか?
という問いへの答えは、
「存在した。むしろ世界中の新聞先進国で一般的だった。ただし日本では宅配網中心、欧米・南米では街頭販売中心という違いがあった」
となります。
実際には1960〜1980年代頃までなら、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ブエノスアイレスなどの大都市で、「同じ日付の新聞なのに版によって内容が違う」という現象はごく普通でした。今のインターネットのニュース更新を、紙媒体でやっていたようなものです。
Me: ここで、先の質問の背景を説明します。以下のような UFO/ET 事例が 報告され、当時現地のアルゼンチンではメディアで大騒ぎなりました。US では殆ど知られていない筈。スペイン語動画ソースを NotebookLM で要約したのが後述の添付内容。
私の推測は、
- カルロス・アルベルト・ディアスが仲間と仕組んだ捏造事件
であり、
-
問題の証拠となる新聞はその 超早版 を空港で深夜 1時ごろに入手し、ブエノスアイレスへ深夜便の航空機で移動した。たぶん、彼はバイアブランカではなく、大都市の空港で超早版の新聞を買って、その空港からブエノスアイレスへ向かった。
-
バスの乗車券は、鉄道関係者ゆえ、未刻印の切符を入手して刻印を偽造した。
というもの。
これで、新聞やバスの乗車券は説明可能ですが、問題 のブエノスアイレスへの深夜航空便は当時も存在していましたか?
(この箇所に NotebookLM のよる要約の一部を貼り付け)
ChatGPT:
結論から言うと、
あなたの仮説における最大の技術的ボトルネックである「1975年1月5日未明に、バイアブランカ周辺 → ブエノスアイレスへ数時間以内に移動できたか」
については、
「不可能ではない。むしろ航空機利用なら十分成立しうる」
という評価になります。
ただし重要なのは、
「定期深夜便が存在したか」よりも、「空港アクセス込みで実行可能だったか」
です。
まず距離ですが、
Bahía Blanca → Buenos Aires
は約600〜700kmです。これは現在でも国内線区間として普通です。
1970年代のアルゼンチンには既に
Aerolíneas Argentinas
が存在し、
バイアブランカ便も運航していました。
問題は時刻です。
あなたが引用した証言では、
- 03:32 バス乗車
- 04:10 消失
- 04:22 ブエノスアイレス出現
になっています。
この12分テレポートは当然不可能です。
しかし捏造仮説では、
実際にはもっと前から移動していた
ことになります。
すると話は変わります。
ここで新聞が重要です。
要約文には
新聞を午前4時頃に所持
とありますが、
実際には
発見時に新聞を所持していた
しか証明していません。
つまり
新聞購入時刻
と
警察確認時刻
は別問題です。
当時の地方紙の 流通を考えると、
「正午にならないとブエノスアイレスに届かない」
は、
通常物流ルートの話です。
しかし
本人が持って飛行機で運ぶ
なら無意味になります。
ここはUFO研究でよくある
「物流網で説明不能」 ↓ 「本人輸送を検討していない」
という穴です。
むしろ私が気になるのは、
新聞よりも
バス券です。
しかしこれも、
あなたが指摘しているように、
もし鉄道関係者なら
未使用券入手
日付刻印改造
廃券流用
は理論上可能です。
少なくとも
「絶対不可能な証拠」
ではありません。
そして最大の問題は、
この事件が起きた1975年です。
これは極めて重要です。
1975年のアルゼンチンは、
軍事政権成立直前の極度の混乱期です。(ウィキペディア)
この時代は、
- 記録管理
- 警察記録
- 報道検証
が現在ほど厳密ではありません。
そのため、
後年のUFO本では
「警察が確認した」
という表現が頻出しますが、
実際には
確認記録そのものが残っていない
ケースが非常に多いです。
さらに、
この種の事件では昔からあるパターンがあります。
1973年の
Dionisio Llanca UFO incident
も同じくバイアブランカ周辺で発生しており、当地域はアルゼンチンUFO史の有名地域です。(ウィキペディア)
つまり、
1970年代のバイアブランカでは
UFO文化的土壌が既に存在していた。
これは重要です。
私なら仮説順位はこう置きます。
仮説A(最有力)
ディアス本人+協力者による演出
- 早版新聞利用
- 切符細工
- 移動経路は航空機
- UFO物語を後付け
仮説B
本人による失踪隠蔽
- 私的事情
- 金銭問題
- 男女関係
- その他
を隠すための虚偽証言
仮説C
精神的・認知的異常体験
- 睡眠不足
- 解離状態
- 記憶混乱
仮説D
未知現象
そして航空便についてですが、
私の現時点の印象では、
「1975年当時、バイアブランカまたは近郊空港からブエノスアイレスへ向かう夜間・早朝便の存在」
は十分あり得ます。
むしろ、
この事件を本気で検証するなら、
調べるべきなのは
- 1975年1月4日夜〜5日未明の国内線時刻表
- エセイサ空港・アエロパルケ空港の到着記録
- Aerolíneas Argentinas の当時の運航ダイヤ
です。
そこに
23時台〜1時台発
の便が存在したら、
「新聞を持って本人が運んだ」
説明はかなり現実味を帯びます。
逆に、
当時の運航記録を調べて
深夜帯便が全く存在しない
となれば、
あなたの仮説の重要部分は弱くなります。
現段階では、
新聞の存在そのものはUFO証拠としてかなり弱く、
むしろ「1975年1月時点の国内線ダイヤの実在確認」の方が検証価値が高いと思います。
Me: その回答の情報でまずは満足です。これ以上、細部を詰めるのは手間がかかりすぎるので。
ChatGPT:
それが合理的な判断だと思います。
この種の古典的UFO事例を調べていると、しばしば
- 事件そのものの検証
- 当時の交通事情
- 当時の新聞流通
- 当時の警察記録
- 当時の航空ダイヤ
などを一つずつ掘らないといけなくなり、最終的には「1975年1月のアルゼンチン地方史」の調査になってしまいます。
今回のケースで得られたものを整理すると、
「朝刊を所持していた」 → 超常現象の証拠にはならない。
「ブエノスアイレスには正午にならないと新聞が届かない」 → 通常配送ルートの話であり、本人携行を排除していない。
「バス券があった」 → 少なくとも理論上は偽装可能。
「700km離れた場所で発見された」 → 最も重要な主張だが、その成立には当時の航空・交通 事情の検証が必要。
ということになります。
特に興味深いのは、あなたが最初に着目した「新聞」です。UFO研究者はしばしば、
新聞がその場所にあるはずがない
という部分を強調しますが、歴史的に見ると新聞は版ごとに流通経路も到着時刻も異なり、さらに本人携行という可能性もあります。
そのため、この証拠は一見すると強そうですが、実はかなり脆弱です。
むしろもし私がこの事件を深掘りするなら、
- 当時の警察署の記録は現存するのか
- 目撃したとされる同僚2名の独立証言は残っているのか
- UFOブーム以前の一次資料(1975年当時の新聞記事)は何を報じていたのか
の方を優先します。
古いUFO事件では、数十年後の本や講演では詳細な物語になっていても、当時の記事を読むと内容がかなり簡素だったり、後年になって要素が追加されていたりすることが少なくありません。
今回の仮説は、
「超常現象の証拠として提示された物証が、本当に超常現象でなければ説明不能か?」
という観点から見直した点に価値があります。
そして少なくとも、新聞と乗車券については「説明不能な物証」ではなく、「追加検証が必要な物証」という位置づけに下げることができたと言えるでしょう。
以下、情報源を NotebookLM で整理した内容。
要旨
この資料は、1975年にアルゼンチンのバイアブランカで起きたカルロス・アルベルト・ディアス氏の失踪事件と、その後の宇宙人による誘拐体験についての証言をまとめたものです。
鉄道員だった彼は、強い光に包まれて数分で数百キロ離れたブエノスアイレスへと瞬間移動し、船内で未知の存在と遭遇した当時の恐怖や身体的変化を詳細に語っています。
彼は宇宙船内部の様子やエネルギー体としての宇宙人との接触、さらには軍による調査協力など、この特異な経験が自身の人生に与えた多大な影響を振り返っています。
長年の沈黙を破り、現在は自らの体験を癒やしや人類へのメッセージとして捉え直し、平和的な視点からその不思議な経緯を公に伝えています。
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