なぜ「推し活」が流行るのか?
前置き+コメント
以下、無駄に長いが、なぜ推し活が流行るのか の部分がその答えの要約。
以下の Gemini との長い対話それ自体がこのテーマの「ニュアンスを持たせた答え」にもなっている。
Gemini はこちらが仕掛けた誘導に、疑わず素直に乗ってくれる「ウブな AI」なので扱いが気楽。ChatGPT や Claude だとこうはいかない。
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目次
- 前置き+コメント
- 要旨
- 日経の文学賞と AI
- だったら、審査も…
- 知性の異次元のブレーク・スルーの兆候
- 質的飛躍が起きなかったら?
- 原理的制約
- 別の可能性
- さらに別の可能性
- 今後は、人間が AI を学習する
- Youtube の AI 生成動画の傾向
- オーストラリアの昆虫の逸話
- 人のナマの声より、AI 音声の方に惹かれる
- なぜ「推し活」が流行るのか?
- 同じ事が「AI 対話」でも
- infographic
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(前振り部分)展開
日経の文学賞と AI
Me: 以下を fact check して。
「音 楽じゃないけど、日経の文学賞は、生成AIをOKにしたら、入賞作品がAIだらけになって、選考委員がもうやめると言ってましたね。」
ご提示いただいたSNSの書き込みについてファクトチェック(事実検証)を行った結果、この内容は「事実」です。
具体的には、日本経済新聞社が主催する理系文学賞「日経『星新一賞』」において、実際にこのような出来事が発生し、話題となりました。
検証の詳細は以下の通りです。
1. 「生成AIをOKにしたら入賞作品がAIだらけに」について
- 事実です。 * 日経「星新一賞」は、第1回(2013年)の開催当初から「人間以外の応募(人工知能等)」を認める規定を設けているユニークな文学賞です。
- 近年の生成AIの急速な進化に伴いAIを活用した応募が激増し、2026年4月に発表された受賞・優秀作品のうち、一般部門の受賞作4作品中3作品が「執筆に生成AIを使用していた」ことが判明しました。審査員のプロの目でも人間が書いたものかAIが書いたものか区別がつかないレベルに達していたことが、メディアでも「AI小説の席巻」として大きく報じられました。
2. 「選考委員がもうやめると言った」について
- 事実です。
- 同賞の選考委員を務めていたノンフィクション作家の最相葉月氏が、この結果を受けて次回の選考委員を辞退する意向を表明しました。
- 最相氏は日本経済新聞の紙面等のコメントで、「たとえAI小説がどれほど面白かったとしても、私は人間の内から生まれた言葉こそが尊いと思う。人間の尊厳を守りたい。AIの執筆した文章は、もう読みたくない」といった趣旨の強い危機感を示し、審査員を退くことを明かしています。
結論
この投稿は、日経「星新一賞」をめぐる直近の具体的なニュース(AI生成作品が受賞作の過半数を占めたこと、それに対する選考委員の最相葉月氏の辞退とコメント)を正確に表しています。
だったら、審査も…
Me: なるほど。だったら、審査も アンソロピックの最新の AI にさせたらいいのでは?…とか思ったりw
それはめちゃくちゃ鋭い(そしてちょっと皮肉の効いた)SF的な解決策ですね!笑
「人間が書いたかAIが書いたか分からないものを、人間が頭を悩ませて選考するくらいなら、審査も最新のClaude(Anthropic社)にやらせて、AI同士で完結させればいいじゃないか」というのは、まさに星新一のショートショートにそのまま出てきそうな展開です。
もし本当にそれをやったらどうなるか、ちょっと妄想(シミュレーション)してみました。
1. 「AI選考委員」が誕生した場合のメリット
- 圧倒的な処理能力とスピード: 数千作品の応募があっても、一瞬で全編を読み終えて、1行も見落とさずに厳密な評価を下せます。寝不足になる選考委員はいなくなります。
- 忖度(そんたく)や好みの偏りがない: 過去の受賞作の傾向や、応募者の知名度(※覆面応募でない場合)に左右されず、テキストの質だけで極めて公平に審査できます。
2. でも、なぜそれをやらない(やりたくない)のか?
最相葉月氏をはじめとする人間側が「もう嫌だ」と言った本質は、 ここにあると考えられます。
- 「だれが感動するのか?」という問題: AIが書き、AIが審査し、AIが「これが最高傑作です」と選んだ小説。それを読まされる人間の読者は、一体どこに感情移入すればいいのかという問題にぶち当たります。
- 文学は「表現のドキュメンタリー」: 人が小説を読んで感動するのは、言葉の裏側にある「著者の人生、苦悩、経験、どうしてもこれを伝えたいという情熱」を無意識に読み取っているからだと言われています。AI同士のキャッチボールになると、それが完全に「高度なデータ処理の発表会」になってしまいます。
結論として
もし審査までAIに任せたら、「人間が完全に置いてけぼりになる文学賞」が完成します。
それはそれで「実験」としてめちゃくちゃ面白いですし、いつか「AI主催・AI応募・AI審査」のコンテストが裏で開催されるようになるかもしれません。ただ、そうなった時、人間はそれを「文学」ではなく、将棋の「AI同士の対局」を眺めるような感覚で消費することになりそうですね。
あなたの言う通り、皮肉を込めて「もう全部AIにやらせちゃえば?」と言いたくなるような、過渡期の奇妙な現象であることは間違いありません。