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菊谷隆太 : 「直葬はやめた方がいい」 と力説する葬儀社と僧侶、その意外な実態

· 44 min read
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title (情報源)

前置き+コメント

菊谷隆太 は「意外な実態」というが、全然意外ではない。

「僧侶」とやらの実態は

坊主…

アレは僧ではない。(釈尊などが定めた戒律を捨て去った)俗人が僧の真似事やコスプレをして生計を立てているだけ。

ref: 「絹の僧衣」という戒律違反の塊

でしかないゆえに。

関連

大竹晋、『悟りと葬式:弔いはなぜ仏教になったか』2、筑摩選書、筑摩書房、2023-04-15、 151ページ

この大竹の本は、葬式仏教を開き直って正当化しようと試みた 鈴木隆泰、『葬式仏教正当論:仏典で実証する』、興山舎、2013

に対する仏教専門学者からの徹底的な論破にもなっている。

ただ、この大竹の本の中では鈴木隆泰の主張に言及もせず、参考文献に列挙することすらしていないようなので、大竹は鈴木の主張をまともな論考と見なしていないようにも見受ける。私も以前、鈴木の本をパラパラと読んで呆れた記憶がある。

ref: 謎の影響力:orb と亡霊と通力 (2024-10-20)


以下、情報源を NotebookLM で整理した内容。

要旨

この動画では、近年急増している‌‌直葬を葬儀業者や僧侶が敬遠する理由‌‌と、その裏にある‌‌業界の実態‌‌について詳しく解説しています。

業者が反対する主な要因として、‌‌収益性の低下‌‌や葬儀の簡略化による‌‌自己の存在意義の喪失‌‌が挙げられていますが、著者はこれを伝統的な檀家制度に依存してきた結果であると指摘します。また、多額の費用を葬儀にかけるよりも‌‌次世代の教育に充てることこそが本来の親心‌‌であるとし、世間体に囚われすぎることへ警鐘を鳴らしています。

最終的に、仏教の本来の目的は供養の形式ではなく、故人を縁として‌‌生者が「生と死」に向き合い仏法を聴くこと‌‌にあると説いています。現代の経済状況や価値観の変化に合わせ、形骸化した葬儀のあり方を見直すべきだという‌‌宗教者としての提言‌‌がまとめられた内容です。

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目次

  1. 前置き+コメント
  2. 要旨
  3. 直葬を巡る葬儀業界と僧侶の実態:仏教の本質から紐解く考察
    1. エグゼクティブ・サマリー
    2. 1. 葬儀形態の変遷と直葬への抵抗
    3. 2. 直葬が急増している背景
    4. 3. 仏教本来の教えと葬儀の意義
    5. 4. 現代における供養と「親心」の考察
    6. 結論
  4. 葬儀形式と比較・仏教的視点による実態調査
  5. 直葬の現状と背景
    1. ‌1. 葬儀業者が直葬を嫌がる実態‌
    2. ‌2. 僧侶が直葬を嫌がる実態‌
    3. ‌直葬が急増している背景‌
    4. ‌仏教の真実から見た葬儀のあり方‌
  6. 業者が直葬を嫌がる理由
    1. ‌僧侶の実態との共通点と相違点‌
    2. ‌直葬の増加と業界の矛盾‌
  7. 直葬が急増している理由
    1. ‌1. 高額な費用負担と「本当の親心」‌
    2. ‌2. 宗教観の変化と情報化社会‌
    3. ‌葬儀業者・僧侶の実態と直葬急増のコントラスト‌
  8. 本来の仏教の教え
    1. ‌1. 死後の運命を決めるのは「葬儀」や「お経」ではなく「生前の行い(業)」‌
    2. ‌2. 葬儀や法事の真の目的は「死者のため」ではなく「生きている者の聴聞(ちょうもん)」‌
    3. ‌3. 葬儀業界と僧侶が直視すべき「仏教の本質」‌
  9. 情報源

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直葬を巡る葬儀業界と僧侶の実態:仏教の本質から紐解く考察

エグゼクティブ・サマリー

近年、通夜や葬儀を行わずに火葬のみを行う「直葬(ちょくそう)」が急増しており、特に関東地方では全体の約30%に達している。この現状に対し、葬儀業者や僧侶が「後悔する」といった論理で直葬を避けるよう促す傾向があるが、その背景には収益性の確保や自己の存在意義の喪失への危惧という実態がある。

本資料では、直葬が急増した社会的・経済的背景を整理するとともに、本来の仏教教義に照らした葬儀・法事の意義を再定義する。仏教の本質において、儀式の有無が故人の行き先を決定することはない。葬儀の本質的な目的は、残された人々が故人を縁として「生と死」を真剣に見つめ、仏教の教えを聴く(聴聞)場であることに集約される。

1. 葬儀形態の変遷と直葬への抵抗

葬儀の形態は時代とともに変化しており、昭和時代の「一般葬」から、平成以降の「家族葬」、そして現代の「直葬」へと簡素化が進んでいる。

葬儀業者と僧侶が直葬を忌避する理由

葬儀業者や僧侶が直葬を好まない実態には、主に以下の要因が挙げられる。

  • 収益性の低下: 葬儀業者にとって、直葬は通夜や葬儀の工程が省かれるため、利益が大幅に減少する。
  • 存在意義への疑念: 長いお経を読み、故人を送るという従来の在り方が否定されることは、僧侶にとって自らの存在理由を揺るがす事態となる。
  • 「後悔」を強調する説得: 業者側は「後でお別れの時間を作らなかったことを後悔する人が多い」「故人への孝行として、小さくても葬儀をすべき」といった論理を展開し、家族葬などへの切り替えを促す傾向がある。

伝統的制度の限界

江戸時代から続く「檀家制度」に依存し、葬儀や法事で生計を立ててきた寺院のモデルは、現代において限界を迎えている。実際に廃寺となるケースも増えており、葬儀や法事に依存した運営からの脱却が求められている。

2. 直葬が急増している背景

直葬を選択する層が増加している背景には、価値観の変化と経済的な切実さが存在する。

信仰心と死生観の変化

  • 「長い経を読めば故人が浮かばれる」という従来の主張が通用しなくなっている。
  • 死後は「無」であると考える層の増加や、情報社会において「儀式の必要性」を疑問視する声が広がっている。

経済的負担の実態

  • 葬儀費用の高騰: 2024年の統計によると、葬儀にかかる費用の平均は121万円に上る。これは多くの家庭にとって、容易に捻出できる金額ではない。
  • 生活優先の考え方: 子や孫の教育費(大学費用など)に苦心する現代において、多額の費用を葬儀や墓に投じることが、必ずしも故人の願いではないという認識が浸透しつつある。

3. 仏教本来の教えと葬儀の意義

本来の仏教教義に照らせば、葬儀や法事の在り方は、世俗的なイメージとは大きく異なる。

故人の行き先を決定するもの

仏教では、死後の過報(行き先)を決定するのは、葬儀での読経や戒名ではなく、その人が生前に行った「業(カルマ)」であると説く。

項目仏教の本質的な考え方
死後の運命生前の自らの行い(業)によって決まる。
読経・法事の影響儀式によって死後の行き先が変わるという教えは、本来の仏教にはない。
輪廻転生私たちは迷いの世界を巡り続けており、そこから離れて仏になる(成仏)道が説かれている。

葬儀・法事の真の目的:聴聞(ちょうもん)

仏教において最も重視されるのは、教えを聞く「聴聞」である。

  • 真面目になる機会: 大切な人を亡くした時、人は普段の忙しさや名誉欲から離れ、「何のために生きるのか」「死んだらどこへ行くのか」を最も真剣に考える。
  • ご縁としての葬儀: 故人を縁として、残された人々が心静かに仏教の教えを聞き、生と死を見つめる場こそが、葬儀や法事の本来的意義である。

4. 現代における供養と「親心」の考察

形式的な葬儀や高価な墓の維持よりも、故人の真意を汲み取ることが重要である。

  • 罰や祟りの否定: 仏教において、仏が罰を与えたり先祖が祟ったりすることは絶対にない。
  • 親や先祖の本当の願い: 高価な墓を建てることではなく、子や孫が幸せに、まっすぐに生きることを願っている。
  • 合理的かつ慈悲深い選択: 葬儀に多額の費用をかけるよりも、その資金を孫の教育費など、次世代の幸福のために活用することこそが、親心に適った選択であると言える。

結論

直葬の増加は、単なる簡素化や手抜きではなく、現代の経済状況や死生観の変化、そして仏教の本質への回帰を反映した現象である。葬儀業者や僧侶は、収益や形式に固執するのではなく、人々が真摯に生と死に向き合える「聴聞の場」としての葬儀を、現代に即した形で提供することが求められている。

葬儀形式と比較・仏教的視点による実態調査

葬儀形式特徴と内容葬儀社・僧侶の反応増加・減少の理由平均費用 (推計)仏教本来の意義遺族・故人の視点 (推論)
一般葬親族のほか、会社の同僚や近所の人、仕事関係者など広く参列者を招いて行う、昭和期までの主流だった形式。多くの仕事が発生し、収益も高いため、伝統的な立場からは好まれるが、現代では需要が激減している。地域共同体の希薄化、世間体を重視する文化の衰退、多額の費用負担(寺への布施や会食費など)が敬遠されているため。121万円 (2024年の統計。かつてのバブル期に比べれば安価になっているが、依然として高額な負担とされる)江戸時代の檀家制度に基づく伝統的な形式。本来は、参列者全員が死を縁として自己の生を見つめ直す場であるべきとされる。「田舎では世間体があり、やめたいがやめられない」という同調圧力への苦悩。高額な布施を払うことに強い不満や疑問を抱いている。
家族葬家族や親しい友人など、少人数の近親者のみで行う小規模な葬儀。「小さな葬儀」とも呼ばれる。直葬よりは収益が出るため、葬儀社は直葬を希望する客に対し「後悔しないように」とこちらを勧めることが多い。平成以降、主流だった一般葬に代わって増加。大規模な形式を避け、親しい人だけでゆっくり別れたいというニーズに合致しているため。121万円 (2024年の統計。一般葬を含む平均値であり、家族葬単体ではこれより変動する可能性がある)身近な人の死に直面し「人間は何のために生きるのか」を真面目に考える機会であり、仏法を聞く大切な「縁」としての意味を持つ。「豪華な式は不要だが、お別れの時間だけは確保したい」という心理。直葬への罪悪感を回避しつつ、負担を抑えたいという本音が透けて見える。
直葬 (火葬式)通夜や葬儀・告別式を行わず、病院から直接火葬場へ運び火葬する形式。関東では約30%に達し、都内ではさらに多いとされる。収益性が低く仕事が減るため嫌がる傾向にある。また、僧侶は自身の存在理由(儀式で送る役割)を否定されると感じ、反対する場合がある。経済的困窮、死後は「無」であると考える人の増加、長いお経による供養への疑問、情報化社会による宗教的権威の低下。121万円 (2024年の統計に基づく葬儀全体の平均額より大幅に安価と推察される)死後の行先は生前の行い(業)で決まるため、儀式自体で成仏が決まるわけではない。本来は故人を縁として仏教の教えを聞く(聴聞)場である。「形だけの葬儀に大金を使うなら、孫の教育費に回してほしい」という合理的な親心と、「世間体があり簡素にしすぎると後悔するかも」という葛藤がある。

[1] 「直葬はやめた方がいい」 と力説する葬儀社と僧侶、その意外な実態

直葬の現状と背景

直葬(通夜や葬儀を行わず、病院などから直接火葬する形式)はコロナ禍以降に急増しており、‌‌関東ではすでに葬儀の30%を占める‌‌と言われています。地方では世間体や親戚付き合いの都合から依然として家族葬や一般葬が多いものの、都市部を中心に直葬を選ぶ人は急速に増えています。

この直葬の増加に対して、葬儀業者と僧侶はそれぞれの切実な理由から強い難色を示しています。

‌1. 葬儀業者が直葬を嫌がる実態‌

葬儀業者が直葬を嫌がる最大の理由は、‌‌単に収益性が薄くなるから‌‌です。直葬では業者の仕事そのものが減り、利益が出ないため、業者側は「直葬にすると、もっとお別れの時間を作ってあげたかったと後で後悔する人が非常に多いですよ」などと遺族に語りかけ、少しでも規模の大きい家族葬などに誘導しようとするのが実態です。

‌2. 僧侶が直葬を嫌がる実態‌

僧侶の反発はさらに根深く、経済的理由と存在意義の危機が絡んでいます。江戸時代から続く檀家制度に依存し、葬儀や法事でお金を得ることで生計を立ててきたお寺にとって、直葬の普及は死活問題であり、実際に廃寺になる寺も多く出ています。さらに深刻なのは、‌‌「長いお経を読んで死者を送る」という僧侶自身の存在理由そのものが否定されてしまう‌‌という点です。そのため、自らのあり方を守るために直葬に反対する僧侶も少なくありません。

‌直葬が急増している背景‌

このような業者や僧侶の意向とは裏腹に、直葬が増加している背景には大きく分けて「経済的要因」と「価値観・宗教観の変化」があります。

  • ‌過酷な経済的負担と親心:‌‌ 2024年の統計によると、葬儀にかかる費用の平均は121万円と非常に高額です。修学旅行の費用にさえ悩む現代の経済状況において、これほどの金額を捻出するのは容易ではありません。また、「見栄を張った葬式や立派なお墓のために子供や孫を苦しめるくらいなら、そのお金を孫の大学の費用などに使ってほしい」というのが、現代の親や先祖の切実な本音(親心)となっています。
  • ‌伝統的宗教観への疑問:‌‌ 「長いお経を読んでもらい、戒名をつければ死者が浮かばれる」「お墓を大事にしないとバチが当たる、祟りがある」といった、かつて僧侶が説いていた教えが、現代の情報社会では通用しなくなってきています。50代の世代ですら「そんなことで浮かばれるのだろうか」と疑問を抱いており、形骸化した葬儀や法事への信仰心は急速に薄れています。

‌仏教の真実から見た葬儀のあり方‌

実は、‌‌「葬儀や法事、読経によって死者が極楽へ行ける」といった教えは、本来の仏教には存在しません‌‌。仏教では、次の世界の運命は生前の自らの行い(業・カルマ)によって決まると教えられています。

では本来の葬式や法事の目的は何かというと、身近な人の死という最も人間が真面目になる機会に、‌‌「生きるとは何か」「死ぬとは何か」を深く考え、仏教の教えを聞く(聴聞する)ための場‌‌であるとされています。

このように、直葬の増加は単なる「葬式離れ」ではなく、多額の費用を要求する旧態依然とした葬儀業界や、本来の仏教の教えから乖離した日本の檀家制度に対する、現代人の合理的かつ自然な見直し(パラダイムシフト)の表れであると言えます。

業者が直葬を嫌がる理由

葬儀業者が直葬(通夜や葬儀を行わずに直接火葬する形式)を嫌がる最大の理由は、自らの仕事が減り、収益が大幅に低下してしまうからです。家族葬や一般葬であれば様々な業務が発生しますが、直葬では業者の仕事がなくなってしまうため、お金があまり入ってこないという切実な経済的理由が根底にあります。

この収益減を避けるため、葬儀業者は遺族が直葬を選ばないように巧みな言葉で誘導しようとします。「直葬にされた方は、もっとお別れの時間を作ってあげたかったと後になって後悔する人が非常に多いですよ」と遺族の不安を煽るのがその典型です。豪華でなくてもこぢんまりと送り出すことが親孝行であるかのように語りかけることで、遺族に「直葬では親不孝になるのではないか」という思いを抱かせ、少しでも利益の出る家族葬などへ引き上げようとするのが葬儀業者の実態です。

‌僧侶の実態との共通点と相違点‌

直葬を嫌がるのは葬儀業者だけでなく、僧侶も同様です。一般葬や家族葬を避け、法事すら省かれるようになると、お寺側も生計が立てられなくなり、実際に廃寺に追い込まれるところも多数出ているため、経済的打撃を恐れている点では業者と共通しています。

しかし、僧侶の反発は業者のような「単に収益性が薄い」という理由よりもさらに深刻です。「長いお経を読んで死者を送る」という役割を担ってきた僧侶にとって、お経も葬儀も省略される直葬の普及は、僧侶自身の「存在理由そのものの否定」に直結するため、強い拒絶感を示していると考えられます。

‌直葬の増加と業界の矛盾‌

このように葬儀業者や僧侶が自らの利益や存在意義を守ろうとする一方で、関東地方ではすでに葬儀の30%が直葬になるなど、需要は急増しています。その背景には、現代の厳しい経済事情があります。葬儀費用の平均は121万円と非常に高額であり、修学旅行の費用にも悩む現代の家庭にとって、容易に出せる金額ではありません。立派な葬儀のために子孫が頭を抱えるくらいなら、そのお金を孫の大学の費用などに回してほしいというのが、親や先祖の「本当の親心」です。

さらに、本来の仏教の教えに照らし合わせても、業者や僧侶の主張には矛盾があります。仏教では「法事や葬儀、読経によって死者が極楽へ行ける」とは教えておらず、死後の運命は生前の自らの行い(業)によって決まるとされています。仏教における葬儀の本来の目的は、死者を供養して浮かばせることではなく、身近な人の死をご縁として残された私たちが「生きるとは何か」「死ぬとは何か」を深く考え、仏教の教えを聞く(聴聞する)ための場なのです。

葬儀業者は遺族の罪悪感を煽って収益を確保しようとするのではなく、このような本来の仏教のあり方を深く学び、それに沿った葬儀の形を模索していく必要があると言えます。

直葬が急増している理由

直葬(通夜や葬儀を行わず直接火葬する形式)がコロナ禍以降に関東地方で約30%を占めるほど急増している背景には、大きく分けて‌‌「深刻な経済事情による遺族の負担軽減」と「形骸化した宗教観への疑問」という2つの強い理由‌‌があります。

‌1. 高額な費用負担と「本当の親心」‌

直葬が選ばれる最も現実的な理由は、葬儀にかかる莫大な経済的負担です。2024年の統計では葬儀費用の平均は121万円となっており、修学旅行の費用捻出にさえ悩む現代の家庭にとって、容易に用意できる金額ではありません。子孫が自分たちの葬式や立派なお墓のために頭を抱えるくらいなら、そのお金を孫の大学費用などに使ってほしいというのが、現代の親や先祖の「本当の親心」であり、これが直葬を選ぶ大きな動機となっています。

‌2. 宗教観の変化と情報化社会‌

もう一つの理由は、「長いお経を読んで戒名をつけてもらえば死者が浮かばれる」というかつて僧侶が説いていた教えが、現代では通用しなくなってきていることです。情報社会となった現代では、僧侶以外からも様々な情報を得られるため、多くの人が「本当にお経だけで死者が浮かばれるのか」「そもそも葬儀や法事は絶対に必要なのか」と疑問を抱くようになりました。実際、仏教の本来の教えでは、死後の運命は生前の自らの行い(業・カルマ)によって決まるとされており、葬儀や法事を行うことで極楽に行けるとは教えていません。

‌葬儀業者・僧侶の実態と直葬急増のコントラスト‌

このように、直葬の急増は‌‌現代人の経済的合理性と、旧態依然とした宗教儀式に対する見直し(パラダイムシフト)‌‌から生じています。しかし、この遺族側の切実かつ合理的な変化に対して、葬儀業者や僧侶は自らの利益と存在意義を守るために強く反発しています。

葬儀業者は、直葬によって自らの仕事がなくなり収益が減ることを恐れ、「直葬にすると後で後悔する人が多い」と遺族の不安や罪悪感を煽り、少しでも利益の出る家族葬などに誘導しようとします。また、江戸時代からの檀家制度に胡座をかき、葬儀や法事の収入で生計を立ててきた僧侶にとっても、直葬の増加は死活問題です。さらに、「長いお経を読んで死者を送る」という自らの存在理由そのものが否定されてしまうため、僧侶は強い拒絶反応を示しています。

地方ではまだ世間体や親戚付き合いのために無理をして一般葬や家族葬を行う家もありますが、葬儀や法事に依存して収益を得る時代はすでに終わりを告げようとしています。直葬の急増は単なる「葬式離れ」ではなく、残された人々が「生きるとは何か」「死ぬとは何か」を真摯に考えるための場という、本来の仏教のあり方へ立ち返るための契機であると言えます。

本来の仏教の教え

葬儀業者や僧侶は直葬による収益減や存在意義の喪失を恐れ、「葬儀をしないと死者が迷う」「長いお経を読んで死者を送るべき」と遺族に働きかけますが、‌‌これらの主張は本来の仏教の教えと完全に矛盾しています‌‌。

本来の仏教の視点から見ると、直葬を巡る彼らの反発は、仏教の真実から目を背けた業界の自己保身であることが浮き彫りになります。

‌1. 死後の運命を決めるのは「葬儀」や「お経」ではなく「生前の行い(業)」‌

葬儀業者や僧侶の中には、「手厚い葬儀をしないと死者が迷う」「法事やお経、戒名によって死者が極楽へ行ける」と暗にほのめかす者がいますが、‌‌仏教ではそのようなことは一切教えていません‌‌。 本来の仏教の一貫した教えでは、次の世界の運命(果報)は「生前の自らの行い(業・カルマ)」によってのみ決まるとされています。過去の行いが現在の運命を決め、現在の行いが来世の運命を決めるのであり、他人があげるお経や豪華な葬儀によって死者の行き先が変えられるわけではないのです。

‌2. 葬儀や法事の真の目的は「死者のため」ではなく「生きている者の聴聞(ちょうもん)」‌

それではなぜ仏教に葬儀や法事があるのかというと、それは死者を送り出すためではなく、‌‌残された私たちが仏教の教えを聞く(聴聞する)ための場‌‌だからです。 普段、人間はお金儲けや出世、人からの評価など日々の生活に忙殺されていますが、身近で大切な人を亡くした時だけは、「生きるとは何か」「死ぬとは何か」と最も真面目に人生を見つめ直します。本来の葬儀とは、そのように心が静まり、人間らしい心になった機会をご縁として、迷いから離れるための仏教の教えを真剣に聞かせていただくための場なのです。

‌3. 葬儀業界と僧侶が直視すべき「仏教の本質」‌

これまで僧侶は「長いお経を読んで死者を送る」ことを自らの役割とし、葬儀業者はそれに付随する儀式で利益を得て、江戸時代から続く制度にあぐらをかいてきました。しかし現代の人々は情報化社会の中で、「お経を読んでもらうだけで本当に浮かばれるのか?」と本来の仏教とのズレに気づき始めており、それが直葬の急増という形で表れています。

直葬を嫌がる業者や僧侶は、「死者を送る」という虚構の役割を否定されることを嫌がっていますが、彼らが本当にすべきことは、‌‌遺族の罪悪感を煽って旧態依然とした儀式を押し付けることではなく、本来の仏教のあり方を深く学び直すこと‌‌です。意味のない形だけの儀式や高額な費用負担を改め、残された人々が静かに命と向き合い、仏教の教えに触れられるような「本来の形に沿った葬儀」を提供していくことこそが、これからの時代に求められています。

情報源

動画(19:23)

「直葬はやめた方がいい」 と力説する葬儀社と僧侶、その意外な実態

https://www.youtube.com/watch?v=R0JiFDK6OcU

32,000 views 2026/06/06

(2026-06-14)